御祭神
宗像三女神
田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命
宗像三女神は天照皇大神と素戔嗚尊との誓約によって生まれた、日本と大陸をつなぐ海上交通の要所、玄界灘の神様です。古くより海上交通の神様、道の神様として信仰を集めています。
御由緒
神功皇后の三韓御遠征の折、香椎の西にある黒津の岬より、諸軍各々に郷名姓名を名乗らせながら乗船させたことから、その場所が「名嶋」と名付けられたと伝えられます。そしてこの地より宗像三女神を拝し、遠征の無事を祈られました。
御凱旋の後、神功皇后は再びこの地に上らせ給い、宗像三女神を勧請して御奉斎された事が名島神社の起源と伝えられています。
中世には七福神の信仰が盛んになり、三女神の市杵島姫命が弁財天と同一視された事から、名島神社は「名島弁財天社」と称され、足利尊氏や豊臣秀吉などの時の権力者の参詣も受けて来ました。そして明治時代の神仏分離を経て、弁財天は宗栄寺へと移され、宗像三女神をお祀りする名島神社としてこの地に鎮座しております。
御神徳
交通安全 家内安全 無病息災 智徳伎楽 縁結び 安産 商売繁盛
六十日に一度巡りくる、つちのとみの日には、「己巳祭」を執り行い、家内安全の御守護として「ことなし柴」を頒布しております。
ことなし柴は神功皇后三韓御遠征の砌、柴を御手折られ海上安全をお祈りし、無事御凱旋になられたという由来があり、
今に伝えられています。
御社殿
本殿は文政十三年(一八三〇)四月、黒田斉清公の再建に成り、神仏習合時代の名残をとどめ、華麗なる仏閣作りが加味されています。
拝殿は明治の神仏分離と共に宗栄寺に移され、現在の薬師堂となっています。現在の拝殿はその後の御造営であり、平成二十三年(二〇一一)に改修されました。
摂末社(名島神社境内にお祀りされている神社)
大黒天社祭神 大国主命
食物と財福の神。名島弁財天社の時代より末社としてお祀りしております。御社は昭和三十年九月建立のもの。
恵比須社祭神 大名持命
航海と商売繁盛の神。名島弁財天社の時代より末社としてお祀りしております。御社は昭和三十年九月建立のもの。
豊受宮祭神 保食大神
享保十年(一七二五)名島神社の外宮と共に三の丸下に祀られていた農耕の神で、二月丑の日と十一月巳の日を祭日とし、六座で交代して祭事を行ったと伝えられます。明治初年に名島神社境内へ移されました。
妙見社祭神 天御中主神
国土守護と長寿の神。妙見島に祀られていましたが、昭和五十七年(一九八二)三月十二日に名島神社境内に移されました。
名島豊川稲荷神社祭神 宇加御魂大神
明治初期に勧請された五穀豊穣・商売繁盛の神。毎年二月の午の日には、初午祭が執り行われております。
古宮
天正十六年(一五八八) 名島城建築の際、名島神社は現在の丘(神功ケ峯) から海辺へと移されました。その後、福岡城築城に伴い名島城は廃城となり、元禄(一六九五) に黒田綱政公の命により元の場所へ御遷座されました。この旧趾を古宮としてお祀りしております。